しばしば東のヴェニスとも呼ばれる、ラジャスタン州の中でも最もロマンチックで魅惑的な街、それがウダイプルです。
16世紀にムガール帝国の攻撃を受けたメワール王国のウダイ・スィン王が、1568年に都をチットールガルから防御に適した山あいの地であるウダイプルに都を遷都しました。旧市街は11の城門からなる城壁で周りを囲まれていましたが、現在ではそのうちの5つの城門が残っています。
ちなみに街の東側にあるスラジポル(太陽の門)が正門です。ウダイプルは、その縁をみずみずしく茂ったアラヴァリの丘に囲まれた青々と輝くピチョラー湖がある愛らしい街です。
こういった自然風景の融合と共にある独特のざわめきや体験が、詩や絵画、作家たちのイマジネーションをかきたててきたのでしょう。おとぎ話に出てくるような宮殿や湖、寺院や庭園、小さな屋台店の並ぶ狭い通りなどがまるで万華鏡のように絶えず変化し、そこへ英雄伝説や数々の武勇伝などを含んだ歴史が混ざり合うことで、街全体が歴史の縮図となって美しく存在感をあらわにしているのです。
<見どころ>
シティパレス
扇形のアーチ、さや形のバルコニーやクーポラ屋根などをふんだんに使用して建てられた、ラジャスタン州で最も大きな宮殿集合体で、銃眼をつけた城壁に囲まれたこの宮殿は、湖と街を見下ろすようにして建っています。
建物はマハラナ(マハラジャの中のマハラジャ)のウダイ=シン2世によって建設が始められ、その後多くの後継者達によって増改築がなされ、中庭、あずまや、テラス、回廊、個室や吊り庭園などの寄せ集めのような現在の形になりました。
多くのマハラナによって増築が繰り返された割には、統一性のあるデザインに落ち着いています。正面玄関は「トリポリア」と呼ばれる3重のアーチ門になっていて、現在この宮殿の一部は博物館として使用されています。中でも美しい孔雀のモザイクがあるMor Chowkや、ガラスや鏡細工の装飾が豊かでルビーの宮殿という別名をもつManak Mahal、ミニチュアのコレクションが目を見張るKrishna Vilasなどをはじめとして、青と白のセラミック(陶製タイル)や装飾タイルが有名なChini Mahalや絵画が多く展示されているZenana Mahal(女性たちの宮殿)、中央庭園が美しいBari Mahalなど見どころはいっぱいです。
ここにはまた、政府博物館もあり、彫像や絵画の他、カンガルーやシャム産の鹿の剥製なども展示されています。
その他、湖に直接面している場所にあるShiv Niwas宮殿やFateh Prakash宮殿などは、それぞれ宮殿ホテルとして利用されています。
Fateh Parakash宮殿には、1877年にマハラナのサイジャン=シンがイギリスのOsler’s に注文して造らせたクリスタルの椅子やテーブル、更にはベッドまでも展示されているという、素晴らしいクリスタルのギャラリーがあります。このクリスタルギャラリーはインド国内で最も贅を極めたといわれる謁見ホールに面していて、中央には国内でも最大級とも言われる巨大なシャンデリアが吊り下がっています。壁には王族の兵器や昔のメワル王国のマハラナの肖像画などが飾られ、最上階にあるこの天井の高い謁見所をぐるりと見下ろすように、上部に回廊テラスギャラリーが設けられ、当時社交界から隔離されていた王室の女性達が下の謁見所で行なわれている様々な行事を覘き見ることができるようになっていたのです。
マハラナのファテー=シンが、当時の総督に敬意を表するために、1909年にインドの総督であったロード=ミントがウダイプルを訪れた際に謁見所の最初の基礎石を置いてもらったことから、元々はミントホールと呼ばれていたということです。
ピチョラー湖
この穏やかな湖は、マハラナのウダイ=シン2世が街を建設した後に人工的に拡張されたものです。彼はBadipolという名で知られる石造りのダムを建設し、湖は現在3km×4kmの大きさを誇っています。湖の中にはJag NiwasとJag Mandirという2つの小さな島があります。夕刻から夜にかけてのボート乗りは、地元の人たちにも非常に人気があります。
Jag Niwas
有名なレイクパレスが建つ島です。宮殿は1754年にマハラナのジャガット=シン2世によって建てられ、その後宮殿自体がひとつの島として形成されていきました。元々は王族の夏の離宮として使われていましたが、現在では日陰を上手に利用した素敵な中庭や蓮池、マンゴの木が強い日差しを覆ってくれるスイミングプールまである、高級な宮殿ホテルとして利用されています。
Jag Mandir
ピチョラー湖に浮かぶもうひとつの島で、マハラナのカラン=シンによって造られましたが、島の名前にはその後多くの増設工事を執り行ったマハラナのジャガット=シンの名前がつけられました。ムガル帝国のシャー=ジャハーン皇帝が彼の父親のジャハンギールに対して革命を起こすために、1623年-1624年にこの宮殿に滞在して準備をしていた時に、この宮殿からタージマハルのインスピレーションを得たともいわれています。石像の象を沢山並べたこの島には、美しく彫刻が施された石造りの印象的な廟があり、ここから眺める対岸の街の景色はなんともいえない美しさがあります。
Jagdish寺院
シティパレスの入り口付近にあるこの寺院は、マハラナのジャガット=シンによって1651年に建てられました。この美しいインド=アーリア建築様式の寺院は、ヴィシュヌ神に捧げられたもので、ジャグナート、つまり全宇宙の神を意味する黒い石が安置されています。
Bharatiya Lok Kala Mandir
民族衣装や人形、マスクや楽器、絵画やパペット人形など、この地方の民族アートに関する興味深い展示品をみることができます。
Pratap Smarak
Moti Magri(洋ナシの丘)の頂上に位置し、Fateh Sagar湖を見下ろすようにして建つこの建物は、ムガル帝国に幾たびも抵抗したラージプート族の英雄、マハラナ=プラタップの記念碑です。頂上へ向かう道中には日本の石造庭園を含む美しい庭園が並んでいます。
Fateh Sagar
ピチョラー湖の北にあるこの湖は、数々の丘に囲まれています。この湖は元々1678年に起こった大雨の影響でダムが決壊してしまったときに、マハラナのジャイ=シンによって造られたもので、その後マハラナのファテー=シンによって再建されました。湖の真ん中にはネルー公園島が設けられ、ボート遊びなども楽しめるようになっています。
Ahar
街から東へ2kmのところにある昔の都市の遺跡がある場所で、メワル王国時代のマハラナたちの美しい集合廟が残っています。ここには古い陶磁器や鉄器類をはじめとして、この地域で発掘された工芸品などが展示されている博物館などもあります。
Saheliyon-ki-Bari
街の北にある別名「名誉あるメイドの庭園」と呼ばれるこの場所には、噴水やあずまや、大理石製の象の彫像や蓮池などが美しくは位置された庭園があります。ここは昔、王族の女性達がピクニックにやってきた場所であるためにこのような名前がつけられたといわれています。
ウダイプル周辺 …Eklingji & Nagda
ウダイプルから北へ22kmにある小さなEklingii村には、幾つかの古代に建てられた寺院があります。ここにあるシヴァ寺院は元々734年に建てられたもので、壁に囲まれた寺院地区には、ピラミッド型の屋根の下に柱がふんだんに使用されたホールや、黒大理石製のシヴァ神のイメージを模ったものなどがあります。 Nagdaには3つの古い寺院がありますが、廃墟のようではあるけれども興味深い建築様式を呈しているAdbudjiジャイナ教寺院、幾つかのエロティックな彫像を含む精巧な構成と彫刻が素晴らしいSas Bahu寺院 などは特に見ものです。
Haldighati
歴史的に重要な場所が40km離れたところにあります。ウダイ=シンの息子であり英雄のラナ=プラタップとムガル帝国のアクバル皇帝軍が1576年に歴史的な戦いを行なった場所がここHaldighatiなのです。現在そこにはラナ=プラタップを祈念して建てられた、白大理石製の柱が美しい廟が残っています。また、ラナ=プラタップの愛馬、Chetakに捧げられた廟も見逃せません。
Nathdwara
ウダイプルから48kmほど北に行くと、18世紀に建てられたSri Nathji寺院があり、これはヴァイシャナヴィテ廟の中でも最も崇敬される寺院です。
黒い石によるヴィシュヌ神のイメージは、1699年にムガル帝国のアウラングゼーブ皇帝の破壊的な衝動から守るために、マトゥーラの街から持って来られたもので、現在では非常に人気のある巡礼の地となっています。
またNathwaraの街は、ヴィシュヌ神がイメージとして初めて持ち込まれた街として、布地に宗教的なペインティングが施されたピチュワイペインティングが名産品となっています。
ウダイプルから48kmほど南東に行ったところには、17世紀にゴムティ川をせき止めてダム建設を行ったマハラナのジャイ=シンによって人工的に造られたジャイサマンド湖がありますが、この湖は現在でもアジア地域の中で最も大きな人造湖のひとつに数えられています。
湖の湖畔にはたくさんの美しい大理石の廟が並び、ウダイプルの王妃たちのための夏の宮殿も見ることができます。ここにはまた、野生動物サンクチュアリがあり、代表的なものとしてはヒョウやイノシシ、鹿、アンテロープ、マングースなどのほか、数多くの渡り鳥などが生息しているといわれています。
チットールガル
丘の上に横たわるようにして建つ城砦はまるで、ラージプート族たちが一世を風靡した時代の理想やロマンチックさの縮図であるともいえるでしょう。
この城砦は、標高180mの、周辺の平原から不意に突き出したように見える丘の上に経ち、280ヘクタールもの広さを誇っています。1568年まで、チットールの町もこの丘の上の城砦の城壁内にあったのですが、現在は丘から西へ下っていくようにして新市街が広がっており、町を流れる川が鉄道のある地域と町のそのほかの地域とを分断した形になっています。
伝説によると、マハーバーラタ叙述詩に出てくるパンダヴァ兄弟のひとり、ブヒムがこの城砦の基礎の建築を手がけたと言われています。長い歴史の中で3度、強靭な敵に攻め入られたことがあり、その際にチットールの領主はラージプート流の英雄的な死、つまりサフランで染め上げた殉死のための美しいローブに身をまとった男たちは、馬に乗って城砦を下り、指定の場所で死を遂げ、女子供たちは、その男たちの火葬をする際に生きたまま積みまきにされて死んでいったといわれています。生よりも名誉が一番重要だった時代なのです。宮殿、塔、貯水池や寺院など、チットールの見どころはすべて城砦内にあります。ラナ=カンブハ宮殿には厩舎とシヴァ神を祭る寺院があります。
Fateh Prakash 宮殿には小さな博物館があり、この近くにはインド=アーリア建築様式が活かされた、ラナ=カンブハ時代に名を馳せた神秘作詩家、Meera Baiの寺院があります。中央にあずまやを持つ池の隣にはパドミニの宮殿があり、伝説によるとAla-ud-din Khiljiがパドミニに、宮殿の鏡に映った自分の姿を見てもよいと言ったところ、パドミニはここの池にあるあずまやにやってきて座り、池の水面に映る自分の姿を見たといわれています。彼女を自分のものにしようとしたAla-us-sinはチットールを破壊へと導いていくのですが、パドミニはそれを避けるために自殺を図ったといわれています。
この宮殿の反対側には8世紀に太陽の寺院として建てられ、その後カーリー神に奉げる寺院になったKalika Mata寺院があります。外側がヒンドゥ彫像で装飾された勝利の門(Jaya Stambha)は、1440年に起こったマルワ王国のMahmud Khilijiにラナ=カンブハが勝利した記念に建てられたもので、9階建てになっていて37mもの高さがあります。
この門の近くにあるのがチットールがメワル王国の首都だった時代に、チットールのラナたちが埋葬されたというMahasatiです。これらサティは自分たちの夫が死んだときに、生きたまま一緒に火葬された女性たちを追悼祈念したものです。ここを抜けてがけのあたりに行くと、深い貯水池のGaumukh 貯水所があります。がけには牛の口をかたどった泉から貯水池に水が蓄えられていくことからその名がついたといわれています。この場所からはパドミニとその同胞たちが自殺を図ったとされる洞窟につながっています。
チットールのもうひとつの有名な門は22mの高さを誇る名声の門(Kirti Stamba)で、最初のジャイナ教伝道師、Adinathに捧げるためにジャイナ教の商人が建てたものです。こちらの門のほうが勝利の門よりも昔に建てられたといわれており、そこには多くのジャイナ教伝送師の裸体彫像が彫りこまれています。
Deogarh
ウダイプルの北135kmに位置する素晴しい城をもつ小さな町で、その城は現在高級ホテルになっています。この街はウダイプルからジョドプールやアジメール、ジャイプールなどに向かう途中で立ち寄るのにちょうどいい場所でしょう。この街に立ち寄ったら是非2000年前にシヴァ神に捧げるために建てられたという珍しい洞窟寺院、Anjaneshwar Mahadevを訪れることをお勧めします。